歴史が見えて懐かしくなる、バスの降車ボタンがズラリ! 石田岳士さん
みんな押すのが大好きな、バスの降車を知らせる押しボタン。それには、歴史や時代背景とともに、さまざまな種類があることをご存じですか? 今回は、バス降車ボタンの収集家であり研究家である、石田岳士さんの横浜のお宅を訪問。バスに根ざした日本固有の文化について、教えていただきました。30年以上の歳月をかけて600個以上のボタンを集め、日本のバス降車ボタンの95%以上はコレクションされているという石田さん。歴史がよく分かる展示ボード上では、一つひとつのボタンがひときわ輝いて見えました。
押すと音声が鳴り、ランプが光るという、バスを実体験できる配線の工夫もすばらしく、まるで子どものように無邪気に楽しませていただきました。
■降車ボタンの歴史が分かるオリジナル展示台
●たくさんの人に押してもらえるボタンへ
「先日、日本最初のワンマンバスにも降車ボタンが付いていたことが分かったんですよ」と語り始めた石田岳士さん。「ランプのつくボタンというのは日本発祥で、日本で独自に進化してきた、ガラパゴス化したものなんです。欧米へ行っても、点灯するものはほとんど見かけません。韓国や台湾にはありますが、それは日本から完成車を輸出していた影響なんです。日本では、歴史の中でいろいろなメーカーが降車ボタンを製造していたので、たいへん多くの種類があります」
個人的な趣味で集め始めたという降車ボタン。石田さんはそれらを年代順にきれいに並べて公開するようになりました。「普通に考えると、趣味で集めている人は、袋に入れて箱に詰めて大事に持っていて、夜中に出してこっそりと眺めていたりするものですよね。でも自分の場合は、『みんなにボタンを押してもらいましょう』という形に、少しずつ発展してきました」
改良を重ねた展示台は、現在のものが5代目。見た目で違いの分かるものを網羅していますが、その他にも膨大なストックがあります。ボタンを押してもらっているうちに壊れてしまうものもあるため、スペアもたくさん用意されているとのことです。
125個の降車ボタンが年代順に並べられた、石田さんお手製の展示台。
キャスター付きで、折り畳んで車に積めるような工夫も施されています。
■子どもの頃からバスが大好きだった石田さんの歩み
- 懐かしい整理券器も。今はこれを見ても
何のためのものか分からない人もいるそうです。 - イベントで降車ボタンを押した人に配られていた整理券
にも、石田さんらしい楽しい工夫が。「禁断の押し放題」
というキャッチフレーズが付けられています。
●降車ボタン華やかなりし頃に、多感な時期を過ごす
石田さんは幼い頃からバスが大好きで、4歳の時にはエンジンの音を聞くだけで、どのバスが走っているかが分かるほどだったそうです。
「当時住んでいた団地の近くでは、ボンネットバスが現役で走っていました。親父がそんなバスに乗せに連れて行ってくれるのが、とても楽しみだったんです。親父はエンジンなどを作る会社で働いていましたから、『これは日産ディーゼルのバスだよ』『いすゞのバスだよ』と教えてくれます。そうすると子どもは形と音で、どこのバスかを覚えるんですよ。そして4〜6歳というのは、だいたい降車ボタンを押したい時期なんですよね(笑)。ですから、小学校1・2年くらいで、降車ボタンの形状というものを、明確に識別していました。私は昭和39年生まれですが、日本で初めて点灯式のボタンが生まれたのが昭和38年だと言われています。それが昭和40〜50年代にかけてバリエーションのピークを迎えますから、ちょうど、いい時代だったんでしょうね。いちばん多い時で10社以上のメーカーが降車ボタンを製造していましたし、新しいボタンが付いたバスに乗るのは、本当に楽しみでした」
その後、昭和の終わり頃から、華やかだった降車ボタンの種類も徐々に減っていきます。「2004年以降は、より誰もが使いやすい規格が明確化されて、降車ボタンの規格にも細かいバリアフリー仕様が定められたため、自社で設計・製造しているのは2社だけになりました 」と石田さん。バスに歴史あり、降車ボタンにも歴史ありです。
- 短い鼻のゾウさんのように可愛らしく見える、
初期の頃の押しボタン
●鮮やかな記憶をイラストにまとめて整理
子どもの頃に見たさまざまな降車ボタンの鮮明な記憶は、大人になってからイラストとしてまとめられます。
「つぎとまります」というワンマンバス・降車押ボタンのホームページ(管理人:ばすくんこと石田岳士さん)では、「押釦グラフティ」のページに、ボタンがメーカーごとにきれいにまとめられています。まるで写真のように見えるボタンですが、実は石田さんが描かれたイラストなのです。
http://homepage2.nifty.com/BUS-kun/tsugitoma/
●高校生の時から始めて、全国を飛び回りボタンを収集
実物の降車ボタンを初めて手に入れたのは、16歳の高校1年の時。バスの車庫へ行って写真を撮らせてもらっていた時に、「種類が1個しかないものでなければ、持って行っていいよ!」と譲ってもらったのが最初だそうです。
- 昭和48年に規格が制定された、
点灯式の「乗客降車合図用押ボタン」
- 日本自動車車体工業会が発行している
「バス車体規格集」を広げる石田さん
■ボタンのバリエーションは、人が工夫を重ねた証
- 美しく光る点灯式ボタンにはさまざまな色があり、「次停車」
など多くのバリエーションの文字が書かれていました。
●どうしてさまざまな種類のボタンが出現したのか?
石田さんが「バス車体規格集」という冊子を開きながら語られたことも、とても興味深いお話でした。
「バスの標準化をはかるために、さまざまな部品の規格が、細部にわたるまで制定されています。昭和32年には、押ボタンスイッチの規格が制定されました。その後、昭和38年には点灯式の降車ボタンが登場しましたが、その規格が制定されたのは昭和48年。それまで10年間は、点灯式に対する統一の規格が定められていなかったんです。だから、その間に製造された点灯式ボタンはとても種類が多くておもしろいんですよ。ランプのレンズが紫色と決められるまでは、緑色のものもありましたし、ランプとボタンが一体化しているものもあります。私が『なんて美しいんだろう』と魅せられた全体が光るボタンは、この時代のボタンなのです」
●電球タイプ、LEDタイプなど光源も変化
点灯式ボタン内の光源にも変遷があり、最近では電球からLEDへと進化しています。
「同じ形のボタンでも、電球を使ったものとLEDのものとは、光の拡散の具合が違ったりします。そこで、LEDの中に拡散板を入れたり、反転して文字だけを光らせるようにしたり。いろいろな工夫が生まれたんです」
同じような形状でも、左から電球式、LED式、LED式の反転表示タイプという違いがあります。
- 誤押下防止の工夫として、
外側が出っ張っている降車ボタン
●ボタンを誤って押してしまわないための工夫
「誤押下(ごおうか)防止への取り組みもあります。昔はバスのシートが横向きだったこともあり、ボタンが低い位置にあると誤って押してしまうこともありました。だから、初期の頃はボタンがとても高い位置に付いていました。今では、新しいバスのボタンは柱にも付いていますが、ポンと押してしまわないように、壁のボタンと柱のボタンは仕様が異なっています。それ以前は、プラスチックのガードが付いていたりするんですよ」説明を受けながら改めて見てみると、どうすれば使いやすいボタンにすることができるか、その進化の過程がよく分かります。
■降車ボタンは、いかにも日本人らしい文化
●若い女性を中心に圧倒的な人気を集めるコンテンツ
石田さんは、改めてこう語ります。「日本のバスのシステムは、とても日本人らしいですよね。ボタンを押すと『わかりました』と、目でも見えるし、音でも返ってくる。こんな小さな部品に文字まで入れるなんて、とても律儀ですよね。文化的にもおもしろい、日本人を象徴するような小道具とも言うんですかね。そういう文化を、こうして見える形にしておくことには意味があると思いますし、何より押して楽しいものです」
車関係の催し物のほか、東急ハンズや書店などで、石田さんが集めたバス降車ボタン押し放題のイベントが開催されてきましたが、この企画は「キラーコンテンツ」と呼ばれているそうです。「ボタンを押して笑顔にならない人はいないんです。全員が喜ぶし、その主要顧客層は若い女性の方だったりします。イベントではおよそ1日8,000プッシュくらい。東急ハンズ渋谷店のイベントの時には、1万6千ツイート…ツイッターでこの件に関するつぶやきの数がそれだけたくさんあるくらい、ものすごい反響がありました」
ドイツ、イタリア、イギリスなど、海外で見られる降車ボタン。日本ほど発展はしていないとのことです。
■石田さんおすすめのボタンを押して、音を出してみましょう!
さて、それでは石田さんおすすめの10種類のボタンに登場してもらいましょう。クリックするとそれぞれ違う音が鳴りますので、どうぞお楽しみに。
※ボタンの形状と音声の組み合わせは、必ずしも合っていない場合があります。
オージ WS-1 |
メーカー・型式不明 |
ナイルス 型式不明 |
オージ WS-20 |
ネプチューン SPL-4 |
稲垣工業 DBS-200 |
ゴールドキング DFPH-PLSF2 |
オージ WS-250 |
レシップ KSP-400 |
オージ WS-260 |
取材後記
日本で初めてのワンマンバスが大阪市に登場したのが、昭和26年。それから長い間バスの乗客に親しまれ続け、変遷を重ねてきた降車ボタンの数々は、まさに壮観でした。一つひとつのボタンの顔には、それを工夫して創り出してきた多くの人の表情が映っているかのようでした。石田さんは「このボタンが30年後にはどう見られるのでしょうか。それはバスの今後にかかっています」と言います。日本独自の素敵な文化を、次の世代にもしっかり伝えたいと語る石田さん。そんな姿勢を見習って、今まで受け継がれ発展してきたさまざまなバスの文化も、多くの人に伝えていきたいものです。