東京バスの松山建也さんが、聴覚障がいのある運転士として新たな道を開く
2017年12月8日。羽田空港リムジンバスの赤羽・王子⇔羽田線(東京バス㈱運行)で、松山建也さん(当時24歳)が、耳に障がいのある「ろう者」のバス運転士として路線デビューしました。2016年の4月に運転免許制度が改正され、ろう者でも補聴器を付けて一定の音が聞こえれば、バス運転士に必要な第二種運転免許の取得が可能に。これを取得した松山さんは、東京バス株式会社に就職。研修期間を経て、リムジンバスの乗務に就きました。
ろう者のバス運転士という新たな道を開いたパイオニア。そのご本人に、幼い頃からの憧れや、今までのご苦労、今後の目標などについてお話をうかがいました。
■ろう者として運転に携わる第一歩はトラックだった
●マイホームの夢を叶えるために運送業の仕事へ
松山さんは聴覚に障がいのある「ろう者」です。難聴には大きく分けて、「伝音性難聴」「感音性難聴」「混合性難聴」という3つの種類がありますが、松山さんは「感音性難聴」。補聴器を付けて生活しています。会話の声、エンジン音、救急車のサイレンなど、普段の生活で起こる音は聞こえていますが、会話の内容ははっきりとは聞こえにくく、声の判断が難しいタイプ。「タバコ」が「タマゴ」に聞こえるなど、間違った情報を受け取ってしまうことも多くなります。
そんな松山さんが運転の仕事を志したのは、「マイホームを持ちたい」という夢を叶えたかったから。マイカーでよく友達とツーリングしていた楽しかった思い出もあり、前職から運送業への転職を考えました。その時、家族からは心配され、反対もされたと言います。しかし「どうしても夢に向かって頑張りたい」と想いを伝え、トラックドライバーになったのです。
●実績が認められ、ろう者のトラックドライバーが増える
運送会社に入社した時、その会社にろう者は松山さんだけ。そうした中で、松山さんは4トンと10トンのトラックの運行実績を無事故・無違反で1年間重ねました。そこで会社は「ろう者でもしっかり運転できる」と認め、ろう者のトラックドライバーをおよそ10人にまで増やすきっかけになりました。運輸業界の人材不足問題の解決へと向かうためにも、たいへん重要な役割を果たしたのです。松山さんは運転技術や荷の積み降ろしを指導するなど、ろう者をまとめる役割も務めるようになりました。そして人の輪はさらに広がります。「取引先の幹部の人は、最初はろう者のドライバーに不安を持たれていましたが、実績で信頼を築き上げてきました。そして取引先の現場にも手話を自主的に覚えてくれる人が増えて、ろう者を理解してくれる店も増えてきました。うれしかったですね」と松山さんは語ります。
松山さんがバス運転士になるまで、日本ではろう者のバス運転士という実績はありませんでした
■バスの運転士になるのは小学生からの夢だった
●路線バスの運転士のハンドルさばきに憧れた
そんな松山さん、バスの運転士になるのは小学生の頃からの夢だったと言います。そのきっかけは何だったのかを尋ねてみました。「路線バスの運転士が、駅前のロータリーの路肩をギリギリまで寄せ、カーブに沿って曲がる時のハンドルさばきを見て、かっこいいなと思ったことがきっかけなんです。私もそんなふうに上手くハンドルを回して、お客様に喜んでもらえたらいいなと思いました」
そして幼い頃の憧れを、また強くした経験がありました。「バスの運転士への想いが強くなったのは、休日にマイクロバスを借りて東京から河口湖、富士山五合目、白馬村へと運転した時でした。同乗した友達みんなから『ありがとう』と言われ、うれしさとともに大きなやりがいを感じました」
●ろう者の子どもたちにもバス運転士への夢を持ってほしいという想い
そんな想いを抱いていた中で、2016年4月の運転免許制度改正で、ろう者でも補聴器を付けて一定の音が聞こえるなどの条件を満たせば、第二種運転免許が取得できるようになりました。タクシーやバス運転士への道が開かれたのです。この時のことについて、松山さんはこう語ります。「私は、バス運転士になるという目標が新たにできたことをうれしく思いました。私だけではなく、多くの難聴者やろう者にとって、大きな喜びだったと思います。私は道路交通法の改正に関わった方々に感謝し、バス運転士をめざそうと決意しました。もちろんトラックの運転もバスの運転も、いずれも同様に大切な仕事です。ただ、バスの運転士は荷物ではなく人を運ぶので、私は乗り心地の良いサービスでお客様を安全に目的地へお連れする任務を果たしたいと思いました。また、先駆者としてろう者のバス運転士の実例をつくり、ろう者の子どもたちがバス運転士への夢を持つことで、明るい気持ちで生活を送ってほしいと思ったのです」
- バス車内のネームプレート
- 取材は東京バスの北区・滝野川の本社で行われました
■ろう者で初めての運転士として東京バスに入社
●コミュニケーションの問題が壁として立ちはだかる
自分の夢に向かって進もうと決意した松山さんでしたが、大きな苦労もありました。「私は口話では上手く話せません。そのためコミュニケーションがいつも大きな壁として立ちはだかっています。バス業界に転職しようと活動した時も、そう感じました。ろう者を受け入れた経験のない会社では、どのようにろう者と仕事を進めたらよいか戸惑うでしょう。ろう者への知識がないため、予想できないことに対する不安を持つ方も多いと思います。その対策としては、私からどうコミュニケーションを取って仕事を進めていくかを提案する必要がありました」
多くのろう者はオフィスや工場、店舗などを中心に働いていますが、ドライバーという職種についてはインターネットでも情報が少なく、松山さんは情報収集に苦労したと言います。それでもトラック業界の実例を参考にし、バス業界については台湾、アメリカ、ヨーロッパなど、外国のケースを参考にしながら勉強。また、自分なりのコミュニケーションツールを考え、LINEでのやり取りや音声認識ソフトの導入などを面接時に提案したそうです。しかし、運転時には使えないことや、予期しなかった問題を指摘されるなど、確かな安全性を担保するには難しいことも分かったと言います。
●「熱意を大切に、夢に向かおう」という会社側の大きな決断
それでも屈することなく転職活動を続けた松山さんは、東京バス株式会社への入社を希望します。会社に対する印象は、「3社のメーカーのバスがあり、新しいバスが多いのが印象的でした。また、貸切バス事業者安全性評価認定制度の3つ星を取得し、安全対策をしっかりと行っている会社だと感じました」とのことでした。
そして2017年10月1日、東京バスに入社。松山さんの採用における会社の考え方を、運行管理部・教官の久保田健治さんにうかがいました。「社長、本部長、運行管理部の課長が面接を行いましたが、当初、コミュニケーションの問題なども考えると、採用するのは難しいと判断されていました。しかし、松山さんの情熱と努力にふれた社長の『彼の熱意を無にしてはいけない。それに彼は堂々と国家資格の免許を取得しているのだ。夢を叶えてあげたいから、みんなで協力してほしい』という決断で、採用に至ったのです」
入社後は約2ヵ月の研修を積みました。「運転研修では、筆談器を使ってルートや右左折するタイミングなどを教えてもらいました。2人の同期生とも協力し合いながら研修を受けられて良かったと思います」と松山さんは語ります。
松山さんと取材に応じてくださった、東京バス株式会社 運行管理部・教官の久保田健治さん(右)
■さまざまな工夫とサポートで円滑な業務の推進へ
●羽田空港リムジンバス・赤羽・王子⇔羽田線の運転でデビュー
そして松山さんは2017年12月8日、羽田空港リムジンバス・赤羽・王子⇔羽田線の運転でデビューしました。「その時は緊張もあり、笑顔で接客できなかった面もありましたが、現在では笑顔で対応できるようになったと思います。お客様からたびたび応援の声もいただくので、たいへんうれしく思っています」
この路線を担当したことについて、久保田さんにもうかがいました。「羽田空港リムジンバスには、共同運行する3社のバス会社で定めた料金箱のシステムがあり、現金を扱います。ですから、お客様とのコミュニケーションの必要性があります。そこで、いきなり松山さん一人という訳にはいきませんから、車掌を同乗させてサポートしています。しかし、いつまでも車掌を付けた運行をするという訳にはいきませんから、今後は二人で交代しながら運転する東京・大阪間の高速バスの運転にステップアップしようかと話しているところです。また、観光バスのガイドさんとのペアということも考えています。いずれにしても、安全・安心を守り、お客様にご不安を与えないことが私たちの使命です。そんな私たちの一員として、松山さんも毎日一生懸命に頑張っています」
●東京バスの社員旅行でも運転を担当し評価される
12月12日・13日に行われた東京バスの湯河原などへの社員旅行では、初めて貸切業務で運転を担当しました。この時のことを久保田さんは「松山さんの運転を体感してみたいという社員の声もあり、社員旅行で運転してもらうことにしました」と言います。松山さんは、「移動中、社員の人たちが手話本で簡単な手話を覚えて、バスを乗降するたびに『ありがとう』『よろしくお願いします』『お疲れ様です』と手話で伝えていただけたのはうれしかったです。また、スムーズなアクセルワークを行うことができて、先輩方から褒めていただいて一安心しました」とうれしそうに語られました。
●安全第一の運転で、快適な時間を提供したい
現在は週に3日ほど運転業務を行い、それ以外の日は本社での業務や他ルートにおけるガイド研修などに従事。運転業務の際には、お客様とのコミュニケーションも大切にし、数々の工夫も行っています。「降車される場所の案内カードを用意したり、料金受けの時に手で2や3など数字を表して、『2人ですか?』『3人ですか?』とお客様に声をかけています」。松山さんの運転はお客様からの評判も良く、「バスの運転を始めたばかりなのに上手ですね」「寝ていたらもう着いていてビックリしました」などの声をいただいたこともあるそうです。
仕事で大切にしていることを尋ねたところ、「もちろん安全を第一に、道路上で何が起こっても落ち着いて運転しています。また、アクセルワークを大切に、乗り心地の良い運転をすることで、お客様が快適に過ごせるよう常に心がけています」とのことでした。
必要な情報が記されたカードを手作りし、お客様や車掌とコミュニケーションを取っています
■「できないでしょ」の概念を脱却しながら明日へ向かう
- ろう者のバス運転士となった
松山さんのことは、NHKの「手話
ニュース」などでも伝えられました
●障がいに関係なく交流しながら楽しめるツアーもめざしたい
松山さんはこれからも実績を積んで、世間にろう者の運転士でも大丈夫であることをアピールしながら、多くのお客様に安心して乗車いただけるように努力していきたいと言います。「1973年までは、ろう者は自動車の運転を禁じられていました。その状況を変えるための運動があり、運転免許が取得できるように改革。最初は乗用車のみの範囲だったのがバイクやトラックも運転できるように変わり、さらにこうして第二種も取得できるようになりました。ろう者に対するネガティブな思考、『できないでしょ』という概念を捨てて、一歩前に進む。その中で私もさらに努力を続けますし、助け合いながらみんなで仕事を楽しめる環境ができたらいいなと思います。2020年の東京オリンピック・パラリンピックに向けて、日本にもろう者のバス運転士が存在することをアピールするとともに、国内外のろう者が日本の観光スポット巡りを楽しめるツアーなどができるといいですね。また、障がいに関係なく交流しながら楽しめるツアーもめざしていきたいです」
取材後記
取材を通して松山さんの人間性にふれ、仕事にかける情熱と、常に工夫・改善する姿勢、さらにはコミュニケーションの柔軟性を感じました。そして、ろう者の運転士をサポートし、明日を開こうとする東京バスの企業努力を伝えていただき、交通の未来はみんなで模索しながら創り出していくものだと改めて感じさせられました。
松山さんはバスの運転士になった今、家族や友達、多くのろう者からも「ぜひ頑張ってほしい」と応援してもらっているとのこと。そのバスは、多くの人々とともに、多くの人々の夢をも乗せているのでしょう。「ろう者でも好きな仕事に就く機会がもっと増えて、幸せな人が増えるといいですね」と語る笑顔がとても印象的でした。